大学に行きたい理由と、勉強を促さず見守る意味
前回の続きです^_^
勉強って何?
という認識が
一般的な感覚と娘の感覚が違うってところを前回書きました。
その後娘と話していて
学校の勉強って
小学校から高校までは
すでにある知識を
「知識として知っている教師」から伝達されるタイプの勉強だけど
大学はわからないことを探求していくタイプの勉強に変わるんですね。
教える人も大学は自分が研究している人が教える。
娘が高校には行かないけど大学には行きたいと思ったのはそういう違いからだったんだ!
と二人で納得(*≧∀≦*)
そして更に娘は
でんじろう先生みたいなマッドサイエンティストみたいな人が大好きらしく(笑)
自分の興味のある範囲を探求して
その狭い範囲で考えたり話したりする人が好きだそうで(笑)
それは大学で研究しているような人ではないか(≧∀≦)
ということでやはり大学には行きたい
特に変わった研究者の多そうな大学に!
という進路が見えてきました♪
☆
そして更に更に
中学を卒業してから受験勉強をしようとしていた娘ですが
日々ゲームと動画に明け暮れているのにも意味があるのだなと思ったこと。
受験勉強って高校までの勉強のタイプと同じなんですよね。
きのくに子どもの村学園でも中学校の教科は
普通の学校とは少し違うとはいえ
タイプとしては同じなんですね。
(教科以外に「プロジェクト」という自主的な創造的な活動がある。)
そのような「勉強」をそのまま自分一人でするのは難しく
どのような勉強法を創っていくか
創造の為の切り替えの時間が
ゲームと動画に明け暮れているこの期間なのかもしれないと思ったのでした。
そういえば勉強法の本は何冊か買ってそれは読んでいて。
娘も
「私の勉強法を見つけたら、それが誰かの役に立つかもと思う。」
というようなことを言っていて。
ゲームと動画に明け暮れているのが怠けているのではなくて
でもそれが本当にずっとしたいことではなく
(息子はしたいこととしてゲームしてるけど)
ストレスは割とかかってて心の中ではそうとうエネルギー使ってる感じ。
まるで白鳥のような…
水面上では優雅に見えるけど
水面下では足はバタバタ動いてる
みたいな。
つい
勉強を促しそうになるけど
表面上で勉強することよりも
娘が自分の勉強法を
自分自身でもがきながら創る時間を必要なだけ取る事が大事で
それを邪魔しないのが親のできることかなと思うのでした。