子どもと愛でつながる幸せな子育て

中学2年生娘と学校に行っていない小学4年生の息子を持つ母の子育てブログです。

期待に応える為に生まれて来たんじゃない!

娘が

「学校にいると自己否定が染み込んでくるよー。

みんななんであんなに自己否定するのかなー??」

と…

エンパス体質な娘は、一緒にいる人の感情や気分にかなり影響受ける。

寮生活なので四六時中自己否定に浸っているよう(笑)

 


私「周りにいる大人が否定のエネルギーで接するんじゃない?

私もそうだったよー。

大人はさ、子どもにこうあって欲しいって期待するじゃない?

幸せになってほしくて。

で、期待から外れると否定するじゃない?

子どもは期待に応えようとするしさー。」

 


娘「『私は、あなたの期待に応える為に生まれてきたんじゃありません!』(←真正面からちょー真顔で)って言えばいい。」

 


私「おーそれは私は言えんかったなぁー。」

 


娘「人の事だと言えるよねー。

私も自分の事だと言えない(笑)」

 


まーでもほんと、娘の言う通り

人の期待に応える為に生まれて来たんじゃないよね私たち。

 


あーそして

自分の自分に対する期待にも応えなくていいよねー。

 


子育てでの親の役割は、見守って後ろからついていくこと

って思うのだけど

それは自分にもそうだねー。

 

 

 

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【フィンランドの教育でなぜ学力が上がるのか?】

学力が世界1位ということでその教育が注目されているフィンランド

 

こちらの動画を是非観てみてください↓

https://m.youtube.com/watch?v=8cOsqYItCoI

 

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教育の目的は、子どもが幸せになること…

 

宿題はない。
低学年の授業時間は週に20時間。
全国統一テストなし。
学校の格差なし。どこも同じ。
それぞれの子どもの興味や能力に合わせて教育し
子どもがなりたいようになれる…

 

それが、当たり前の感覚の教師。
教師も幸せだろうなぁ。

 



宿題なし、授業時間が低学年で一日3〜4時間という短時間。
それは、学校の勉強以外の時間が大切だから。

 

遊ぶこと、家族と過ごすこと、学校以外の場を持つこと。
それが子どもの幸せだからというのもあり
遊んだり他の場で過ごすことが
直接学力を向上させるのもあるような。

 

 

遊びが子どもの学力を上げるというのはどういうことか?
というのが、私の体験から推測されたのでその体験をシェア!

 

今週娘がずっと数学の問題を解いていて
文章題が難しいようでよく聞かれるのだけど
私にはすぐわかるのが自分で不思議で(笑)

 

きっと私も中学校の頃はわからなかったなーと思う問題で、不思議だったのです!


実は私、数学がものすごく苦手で
高校生の時の偏差値は(全国の模試で)40台という悲惨さ^^;

 

で、解いている時の感触で、これは、人生経験のおかげだな!って思ったのです。
問題解決能力が上がっている!(笑)

 

去年からQuizKnockにはまって、よくひらめき問題を解いていたりしたのもあるかな。
(これはまさに遊び。)

 

これは、子どもでいえば
遊びの中での体験、
自分で考えたり工夫したりすること、
そしてからだを動かして行動して
様々な感覚で受け取って
その結果でまた考えたり工夫したり…


それが思考のレベルだけではなく
無意識的なからだの動きや感覚などの学習も入り
多面的に脳を育てるのかも。

 

そんな感じで学力向上にもつながるのでは
と思うのです。

 

 

そう考えた時に
フィンランドでは学力を向上させるために教育してるんじゃなくて
人間として幸せに生きながら人間としての能力が高まっていくような
そんな意図でプログラムされているような気がします。

 

学力を向上させる=机に向かって教科書の内容を理解したり問題を解くこと
ではない、のですね!

 

教育が何のためにあるのか
という根本の大切な意図と

それを実現するために真に何が必要なのかの理解。

 

ここをこそ、フィンランドから学ぶべきと思います。

 

 

本の学校もわずかずつですがその方向に向かいつつあり

学校が変わらなくても
各家庭で親が理解していくとまた変化すると思うのでこんなシェアを時々しています。

 

 

勉強の知識だけではない意味

娘が今月は数学を勉強するそうで
わからない問題を聞いてくるのだけど
問題を解くって、性格でるなー。

面倒くさがりで暗算したところ間違えてたり
面倒くさがりで数字が適当で読み間違えたり(笑)
そういえば私もそうだった!笑笑

 

学校でするような勉強って意味がある人が限られてるのかなとか思っていたけど
知識を身につける意味よりも
自分の傾向がわかって
それがバランスとれて整っていく
というところに価値があるのかなー
なんて今更思いました(笑)
(それでも必要な子どもとそうでない子どもがいたり、その範囲も違うと思うけど。)

 

 

そして今週毎日数学を勉強していた娘が
昨日の終わりに難しかった問題を
「落ち着いて考えたらわかった!」
「数学って楽しい✨ 幸せだー!」
と言っていたのが私も嬉しかった💓

 

 

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学校より家にいた方が勉強がはかどる!

今週は娘は疲れたので学校を一週間休んで
お部屋の片付けを始め
勉強を始めました。

 

高校は行かないけど、高校受験だけするとのことで受験勉強です(笑)
(大学は行きたいので、そのステップとしての勉強の意味。)

 

YouTubeの勉強のお供にという、(ただ勉強しているところを1時間くらいノーカットで撮ってる)動画と一緒に勉強してました…面白いですねー

 

学校行くより家にいた方が勉強がはかどる!
らしいです(笑)

 

 

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授業中に初めて寝たのを喜んだ話

娘「ママ聴いてー! この前さ、授業中に初めて寝たよー!」
私「おーやったね!(笑)」

 

…って会話してふと
「こんな会話親子で普通しないよね^^;(笑)」

 

そしたら娘が
「授業中に寝たって子どもが親に言わないよね。」

 

まぁ、その前段階として以前娘が授業中にすごく眠いけど頑張って起きてるって聴いたことがあり
「眠かったら寝れたらいいのにねー。」
って私が話してたからなのですが。

 

 

私は自由であることがとても大切で。

自分自身はついつい周りの期待に合わせてしまうのだけど
私は人が自由であることを望んでいます。

他者の自由を故意に害さない限り。

 

そんな私が子どもが宿題やらないこと、学校行かないこと、をどう受け取ってどう感じてどう行動したのか?
そんなことをこのブログにも書いています。

 

子どもが宿題やらなくなって(できなくなって)
学校に行かなくなって(行けなくなって)
私自身も自分や子どもになにかを強いることや、意に反してやらせることをどんどん手放したら
子どもとの暮らしはどんどん楽に楽しくなりました。

 

一般的ではないと思うその生活が
誰かがまた楽に楽しくなるきっかけになるといいなー♡

 

 

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【宿題やらないことを罰する。そこからわかる社会の構造と、人類の変化への道】

学校の宿題にまつわる問題で
宿題やらなくて罰を受けるという話を知りびっくり。

うちの場合は罰を受けたことはなく
「こどもが宿題がどうしてもできなくて
宿題できてないから学校休むと言ってます」
と私が担任の先生に電話したら
「宿題やらなくていいから学校に来てください。」
って言われてしばらくは宿題やらずに登校していました。
二人ともそうでした(笑)

だけど、クラスでは宿題やらないことは「罪」である雰囲気はひしひしと伝わり
班で宿題出さない子がいたら連帯責任とかいうのも聞きました。

罪であれば罰を与えるのは当然という考えは自然と浮かぶのだろうなと思います。

しかし
宿題をやらないことは果たして「罪」なのでしょうか??

10歳の不登校YouTuberゆたぼんが
不登校のきっかけが「宿題をやりたくなかった」からだと言ってものすごいバッシングにあっているのを先日の投稿でも書きましたが
宿題をやらない事が「罪」であると
学校教育の中で叩き込まれているから
ゆたぼんに「罰」を与えてもいいという感覚から常軌を逸したように見えるバッシングも起こるのかもしれないと思いました。

学校の教師も自らがそのように育ってきて
罪と罰が身に染み付いているのかもしれませんね…。

教師もまた自分がやらねばならぬ仕事を頑張ってやっていて、
やらないでいたら罰を受けるようで怖いのかもしれませんね。

先日の投稿で書いたように
小中学生に宿題をやらせることは学力を低下させるという研究結果があります。
夏休みの宿題を無くした学校もあるとニュースで読んだりして
少しずつ宿題はなくなる方向にあるのでしょうか。

宿題を出すのは
本当に学力を向上させたい目的だけなのでしょうか?

そうならば逆効果。

なのに続けるのは
他に目的があるからと思えます。

罪と罰

これが他の目的を知る鍵な気がします。

罪とは何でしょうか?

これは罪でこれは罪でない
というのは「判断基準」が必要です。
通常の社会では法律がそれに当たり
各組織では組織の中にある決まりがそれに当たります。

つまり罪とはその組織の判断基準で決まるのです。

その判断基準はどのような原則で決めているのでしょうか?

それぞれの組織で違いがあると思います。

所変わって時代が変われば
同じ行為が英雄にもなれば犯罪者にもなります。

今の公教育の学校の原則は
明治維新の頃から変わっていない
という事を元ソニー役員の天外司郎さんがおっしゃっていました。

富国強兵政策のまま。

戦後の高度経済成長期は
欧米に追いつけ追い越せと
企業の戦士となって働ける人材を育成するのに好都合な教育だったと思います。

個性の尊重というような文言はありますが
それが文言に終わっているように見え
骨組みは変わっていないのだと思います。

現代社会の構造そのもの。

この構造を作っている大きな原則はなにか?
私は最近、自分自身を観る過程でその推測がつきました。

「権威のあるものに従う」
という原則です。

自分自身"以外"のものに従う
とも言えます。

子どもの頃は親や教師や周りの大人に従う。
社会に出れば会社などの組織に従う。
全ての国民は国に従う。

当たり前だと思いますか?

ですよね。
みんなが勝手に行動したら集団生活が立ち行かないと思いますよね?

ですが、ここに鍵があると思うのです。

罪と罰
人を支配してコントロールする為の仕組みと思えます。

社会秩序を維持するため
という名目はありますが

支配されてコントロールされて
ありのままを大事にされない
からこそ
調和が乱れるような行為も生まれるのではないでしょうか?

歴史を観ると
「人類としての精神発達段階」
というものがあるように感じます。

人類として発達してきた現代
罪と罰で秩序を維持することから
ありのままを大事にすることで調和がとれるような段階に入って行けるのではないでしょうか?

罪と罰で秩序を維持する
という枠組み自体が
もう行き詰まっているのを感じています。

テロを無くす為に
テロと戦っていても
全然無くなる気がしない。

犯罪者を捕まえて刑務所で罰しても
再犯率は高い。

麻薬中毒者の再犯が多いのは
その人個人の問題ではないのです。

宿題をやらないことに罰を与えて
何が達成されるというのでしょう?

宿題とテロや犯罪を同列に並べることに疑問があるかもしれませんが
私には同じ構造から発生していると思えます。

「権威のあるものに従う」
という一つの行動プログラムが
罪と罰で支配しコントロールするという構造を作り維持しているのだと思います。

「権威のあるものに従う」
「自分以外の何ものかに従う」

これをやったことない人はいないでしょう。

自分は反抗するから従ってない
と思う人もいるかもしれませんが
「権威に反抗する」ということは権威があるから成り立つのであって
権威から自由になっているのではないのです。

支配の構造
自分以外の何ものかに従うプログラム

これは
支配する側を責めることで解決するものでもありません。

全ての人が共有しているもの
だからです。

だから
誰かのせいではない。
学校のせいでも教師のせいでもない。

全ての人の課題なのです。

このポイントに気づくことから
社会を変えられます。

一人一人から社会が変わります。

「何もののせいにもせず
自分の意思で思考・行動すること。」
このことが
今の社会の諸問題が消える一つの大きなルートだと私は思っています。

そして
自分を責めることは全く必要ない。

責めること自体が
外側の何かに照らし合わせているから発生するからです。

もし
不本意なことを自分がしてきたと思うなら
自分の本心がそこからわかるので
その本心から思考・行動したらいいだけです。

これを書いている私も
まだ同じ構造を共有している一人です。

少しずつ、自分の望む方に歩いている最中です。

きっと
同じようなことに気がついている人もいるでしょう。

気づいていることを言葉にすること
が私のお役目かと思って書いています。

良かったらご一緒に歩きましょう✨

 

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【子どもが宿題を嫌がる問題の"本質"とは?】

小学一年生のお子さんが
「宿題をやりたくない!」
と泣き叫んでいるという相談をお母さんから受けまして…

「宿題をやりたくない」
ってお子さん
「子どもが宿題をやらなくて困っている」
お母さん
ってものすごく多いと思うんです。

10歳の不登校YouTuberのゆたぼんも
不登校のきっかけが「宿題をやりたくなかったから」と言って
それに対して「甘えだ!」とかかなりのバッシングがありました。

どうも
日本中に宿題はやらなければならないこととして
宿題の意味も、宿題をやりたくない意味も考えることのない思考停止状態に陥っているようです。

私もそういう感覚がありました。


娘が宿題をやりたくなくてできなくて不登校になった経緯を間近で見ていてわかったことがありました。

一つには、これは研究結果として知った事ですが
『小中学生に宿題をやらせると学力は下がる』
ということがあります。

間近で見ていても
最初は嬉々として宿題をやっていて
学ぶことが楽しかった娘が
段々と宿題が苦痛になり学ぶことが苦痛になっていきました。
これは逆効果と思いました。

これをわかっていて
宿題をやりたくなるようにクラスを運営している先生がいるのも知っていて
それはそれで一つのやり方だなと思いましたが
そんな先生は私は一人しか知りません…。

もう一つ、こちらが本質だなと
相談してくれたお母さんにお話ししながら自分でも腑に落ちましたが
宿題というものは、学校教育の体質を代表している存在であり
その体質は
「言われたことに従うことを求めること」
なんですよね。

自分が興味を持って学びたいことを
学びたい時に学ぶことができない
というのが現在の公教育のシステムの基本ですよね。

自主性があって
自らの興味に従い学びたい意欲のある子どもには
言われたことに従って
ただ業務をこなすような授業や宿題は
苦痛であるのは当たり前だと思うのです。

だから
ゆたぼんやうちの娘などの不登校の子で
「宿題をやりたくないから学校に行きたくない」
っていうのは
「怠け」
ではなくて
「自主性」
があるからなんだと思います。

全ての子でそうかどうかはわかりませんが。

学校に行くのが楽しい
自ら学びたくなって学ぶ
という学校もあるんですよねー。

全ての子に合うわけではないと思うけど
娘がシュタイナー幼稚園に通っていたので
シュタイナー教育の学校も調べていて
夏休みとか休みになると
「学校に行きたい!」
と子どもが言うそうで…。

今娘が通ってる学校も
小学生の時は娘は夏休み始まった瞬間に
「早く学校行きたい!」
って言ってました(笑)

でも、中学生になって、学校がハードになって、言わなくなりました…。
その違いは、やらされてる感のある作業が中学生になって増えたことにあるんだろうなという印象です。

息子は小学一年生の二学期以降ずっと学校には行っておらず
宿題は入学後3日でやらなくなったのですが(笑)
今はプログラミングを自分で本を読んだりネットで調べて楽しそうにやっています。

子どもは自ら学びたいことを学ぶのは
意欲的にやります。

その学びの内容は大人が期待するものと違うかもしれませんが
子どもは子どもには必要なことをわかっていると私は思っています。

社会を生きていくのに必要な読み書きや計算は
自分がやりたいことをやる過程で身につけざるを得なくなるのではないかと思っていて
必要に迫られれば自主的に学ぶのだと思います。
サポートが必要なことは見ていてサポートしてあげたらいいと。

宿題をやらないのは怠けではないのか?
という疑問に対して思うのは、
人は
「やらされるから怠ける」
のではないでしょうか?

要求されることにたくさん応えれば応えるほど
自分が望むことではないこと、
つまりは自分のエネルギーが湧かないことをやらねばなりません。

それは、とても、疲れます。

だから怠けるのではないでしょうか?

これは、大人になるにつれて、人にやらされるというより
他者の価値観を自分に取り入れて
自分の中の他者が自分にやらせるようになります。

だから鬱になったりするんじゃないかと思います。

起きていることはシンプルなんじゃないかな。

自分がやりたいことをやれずに
言われたことをやることを強いられているから
やりたくない。

エネルギーが湧かないから
やろうとしてもできない。

だから
「宿題をやりたくない」
ということの本質は
現代社会の構造、現代社会の病理と同じなんですよね。

自殺者が増え続ける。
鬱病が増え続ける。
その構造と同じだと思うのです。

そんな構造まで深入りしなくても
宿題ができてしまう子もいるし
宿題しなくて毎日先生に怒られながら学校に行き続けるツワモノもいます(笑)

もし
あなたのお子さんが
「宿題をやりたくない」
と言ったり
なかなかやりたがらなかったり
ダラダラやり続けて時間がかかる
ような時は
こんな構造が背景にあることを知っておくと違う風にお子さんを見ることができるんじゃないかなと思い
シェアしました。

「宿題をやりたくない」
というのは現行の公教育の中ではとても自然な反応で
むしろ自主性をちゃんと失わずに持っている現れでもあると私は思います。
(やる子が自主性がないという意味ではないですよ。)

とはいえ
宿題をやらずに学校に行くのは
今の学校ではとても大変だと思います。

やりたくない宿題をやらせるのも苦しいでしょう。

そして
宿題の問題は、学校教育そのものの問題ですから
宿題をやらないという事を容認するのは
学校教育自体とどう付き合うかの姿勢まで変えてしまいます。

なので
急に変わるのは難しいかもしれません。

今回相談してくれたお母さんにおススメしたのは
子どもの「嫌だ」と苦しかったり悲しかったり苛立つ思いに共感すること。

お母さん自身が学校に行きたくなかったり宿題をしたくなかったりという思いを
我慢して頑張ってきたのですよね。

だから子どもがやらないのを見ると苦しくなる。

そのお母さんの苦しさと
お子さんの苦しさは同じところから来てるから
わかちあえる、わかりあえると思うのです。

 

 

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