子どもと愛でつながる幸せな子育て

中学2年生娘と学校に行っていない小学4年生の息子を持つ母の子育てブログです。

今年の担任の先生とのお付き合い

中2になった息子の新しい担任の先生と面談した。

電話口の喋り方からすでに、
また、お会いしてもやはり
「有能な営業マン」味がハンパない(≧∇≦)

銀行とか保険の営業マンみたい…

 

こちらに寄り添った説明で
明確でわかりやすい。

私は普段こういう仕事を求めていたのだと思う笑笑
すごく心地よかった。

 

杓子定規に「これはやらなければならないから」みたいなところが無く
給食費やPTA会費など全部払わないし備品や副教材も要らないと言っている私に
息子や私にとって必要かどうかという基準で判断してくれている。
事務から銀行口座を開設した方がいいと
教頭先生が書類持ってきたけど
教頭先生が去ってから担任は
「…これは要らないですよね…。」
と(*≧∀≦*)

 

 

息子が学校行ってないいきさつや状態を聞かれたので説明すると
「学校行かないことはなにも悪い事じゃないと思ってるんですよ。
息子さんの場合すごくいい感じのように思うので
学校に誘うよりも本人を認めて肯定する方向じゃないかと思います。
担任としてどう関わるかも様子見ながら考えていきますね。」
と、お手本のような回答(≧∀≦)

 

高校に関しても私が
「息子は行かないと思います。」
と言うと
「お母さんが肝が据わっててそれで良いならいいと思います。」
と。

 

息子の子育ての方針を話すと
(強制すると固まってしまうので、本人がやる気になったことをサポートするという基本方針)
「私たちも個々の子どもへの方針を考えなきゃいけないですが、家庭での基本があっての事で、
それができてるので息子さんも伸びているんですね。すごいですねー。」
と。

 

話をしながらも営業マン味に注意を奪われて集中できず笑笑

担任の自己紹介が書いてある学級通信を見て
「保健体育の先生なんですねー!
銀行とか保険の営業マンみたいだなーって思ってて…社会人経験はおありなんですか?」
と思わず言うと
「ほんとは営業マンやってみたいんですよー。
会話しながら人に合わせていくのがいいなと。
でも採用試験に受かったので、(担当している子どもたちが)卒業するまではやろうかなと思って。」
だって。

 

 

私が医者だと言うと
「人の役に立つお仕事でいいですね!」
と言うので
「教師も人の役に立つお仕事ですよー!
どんな仕事も人の役に立つお仕事だと思います。」
と返したが
「人の役に立つ」ことに価値を置いているのがいいなーと思った。

 

27歳だそうで、若い世代の価値観が私たち世代からは変わっているんだろうなと思わせられた。

 

今年は担任とのやりとりが楽しみだ♪

息子が学校に行かないワケ

不登校の子でも、心が落ち着いてくると学校に行きたくなる子が多いってのを聞いた。

 

それを聞いて、

「うちの息子(中1)は心は穏やかで明るく楽しそうだけど、どんな学校にも行かないだろうな」

って思った。

 

それはなぜなのか???

 

子どもたちと一緒に考察してみた笑

 

 

私「そういえば息子くんはなぜ学校に行かないんだろう??」

 

息子「自分の好きな時に好きなことがしたいから。」

 

私「そうか!

みんなと同じことをみんなでやること、には何の価値も感じてないもんね。」

 

息子「みんなで一緒になって物を作り上げるとかには価値を感じてるけど

みんなと同じことをやることには何の価値も感じてないね。」

 

 

そういうことか…

 

つまり、初等教育(小中高)では、子どもは同じことをやるんだよね。

 

息子がやりたいのは、事業、みたいなものなんだよね。

 

人から教わるよりも独学して人に教えるのが好き

でもあるそう。

 

これは初等教育要らない人だわ…

 

ちなみに、娘(17歳)が通ってたきのくに子どもの村学園の見学に息子が行った時には

「絶対行かない」

って反応でした^^;

 

きのくに子どもの村学園は、メインのプロジェクトという活動が、半ば仕事(事業)のような、みんなで分業しながら作品を作ったりするような学校。

それでも行かないほど徹底してる。

 

息子のような人は少ないのではないかと思うけど

学校行かないって枠の中にも色んな人がいるのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

死にたい気持ちがなくなった

 

「お母さん、最近私死にたいって思わなくなった!」

「死にたいなんて頭正気か⁈って感覚(笑)」

 

17歳の娘は

5歳の頃から「死にたい」と言っていた。

その後も小学生で不登校になった時も

なんと、割とつい最近まで死にたいと思うことがあったそうだ。

 

親知らずを2本抜いた後から

死にたいと思わなくなったよう。

 

もちろんそれ以外にもたくさん心の変化があってのこと。

 

何にしても良かったなー。

 

 

お母さんいつもありがとう

 

「お母さん、いつもありがとうね。

働いてお金稼いでくれて

育ててくれてありがとう。」

 

と娘。

 

「こちらこそありがとう。

私はさ、人も動物もどんな生き物も

自由に生きたいように生きてるのを見てるのが好きなんだよね。

だから、そうなるようにサポートしたい。

それは私自身がそうしたいからなんだろうなぁ。

 

サポートする人とされる人はどちらもいないと成り立たないんだよね。

患者がいなきゃ医者はできない、みたいに。」

 

などと私は答えた。

 

今思えば素直に感謝を受け取るのが難しかったのかな^^;

 

うとうとしている時に言われたのでなんか条件反射で答えたけど、

娘が一方的に与えられているのではなくて

私も与えられていることを伝えたかったのかな。

 

アドバイスは聞かれたら

最近娘が何か行き詰まっているような普段と違う感じがあるなーと思って

ある時娘に

「最近調子どう?」

と聞いたら

「今、行き詰まってるけど、もう少しで壁を越えられそう。」

と。

 

 

何て言ったか覚えてないけど

自分で色々と試行錯誤してみていて、もう少しで超えられそうという感じだった。

 

「自分で試行錯誤しているなら私からのアドバイスはいらないね。」

と私がいうと

「うん」と。

 

 

そして昨日

なんか娘が元気になってる気がして

「元気になった?」

と聞くと

「そうなのかな?

今まで、見ると大変だから周りを見ないようにしてきたんだけど

もう大丈夫かなって、見てもいいって思ったらそれだけで大分楽になったんだよね。

まだ全然見れてないけど。」

とー。

 

 

娘は、先日の進路選択の時みたいに私に聞くこともあるけど

自分で解決したい時は私には言わずに自分で抱える。

 

一人で取り組む事もとても大事な事だなと思う。

 

 

誰に対してもだけど

子どもに対しても

「聞かれない限りアドバイスはしない。」

ということを私は大事にしたい。

 

 

アドバイスしたら試行錯誤したいのにその機会を奪ってしまうかもしれないし

必要ないのに言っても嫌がられるだけだし。

 

 

私が気になってしまうこと、私も関わる事は、話題として出したり、提案したりすることもあるけどね。

 

 

 

子どもに家事を手伝ってもらうには?

中一の息子は普段ずっとパソコンかゲームをやっている。

 

家事はほとんど手伝わない。

 

17歳になった娘も、昨年まではほとんど家事をしなかったけど

ここ最近は料理や洗濯を一手に引き受けてやってくれている。

 

私が仕事をして家事をして忙しいのに

娘は学校に行かずゲーム三昧だった昨年。

私は、夕食の準備してると疲れてきて、配膳は二人に「手伝ってー」と頼むようになり

頼めば手伝ってくれるようになっていた。

 

娘が料理するようになって配膳も全部娘がしていて息子の出番が無くなっていたけど

昨夜は娘も疲れ果てて

私が夕食を作り始めたけどやはり疲れてきて

息子にヘルプを頼んだ。

 

しぶしぶという感じだったけど

「このままじゃ私疲れて倒れちゃう!

息子くんだけが頼りなんだー!」

などと言っていたら来た。

 

そして、味噌汁を作ってと頼むとその気になった(≧∀≦)

 

乾物で簡単に作る作り方を教えるとやってくれて

これならできると思ってくれたよう。

 

「これでご飯も炊けたら生きていけるね!」

と私が言うと

「ご飯ってどう炊くの?」

と息子。

今度ご飯を炊くのにも挑戦してもらうきっかけになりました(≧∀≦)

 

 

子どもにどう家事を手伝ってもらったらいいのか?

 

子どもにどう家事を身につけてもらうのか?

 

長年テーマとして持ち続けていました。

 

強制するのでは続かないし関係性も悪くなるし

どうしたらいいのかなぁと。

 

機会をうかがいつづけ

昨日みたいな「流れ」が来たタイミングで働きかけるということをしていて

今のところはそれで良いのだなと感じています。

 

息子は強制されるとてこでもやらないところがあり

でも頼られて頼まれると応えちゃうことろがあります。

料理など新しいことは怖がりのせいかハードルがすごく高い感じでやりたがらないのですが

以前、たまたまYouTubeかなんかでハンバーグを作るのに興味を持った、ハンバーグ大好きな息子とひき肉こねたりしながら一緒に楽しみながら作ってから

息子の得意料理という位置付けにして

その後も何度か一緒に作ったら

先日は一人で全部作っていました。

 

一つハードル超えると早いなと思います。

味噌汁もあまり抵抗なく作ってました。

 

 

強制せずに家事を手伝ってもらい身につけてもらう。

今のところはこんな感じでなんとなく上手く行っているようです(*≧∀≦*)

 

 

 

 

 

子どもに期待をかけるなら…

 

娘は子どもの生きたいように生きることを応援されて育ったから
親の期待に応えるのは想像がつかないという。

 

それは多分、過去のことは上書きされて忘れてるかもなと思うけど^^;

 

娘から見ると親が子どもに期待を負わせている事が多いそうだ。

 

 

映画『ビリギャル』の中で
塾の面談中に保護者が子どものことを
「この子はやればできる子なんです」
って言った時に坪田塾の先生が
「お母さん、それはやめてください」
って言ったのを
娘はずっと引っかかっていたそうだ。

 

やればできると、やらなかった時に落胆するから
だそうだ。

それってどういうことだろう?
と。

 

私が思ったのは
子どもが「やればできる」という状態のことを言ったのではなく
「やればできるという親の期待に応える」ことができなかった時に子どもはつらいという事を言ったのではないか。

 

と話すと娘も納得。

 

そして
「お母さんからやればできるって期待されたことないから高校行かない選択できたのかも。」
と。

「もし親が期待をかけてきてたら、学校で友達と喋ってた方がいいから学校行ったかも。」

「何かの期待をされてたら、安心して家にいられない。」

と。

 

娘が無理に学校に行ってたらそれこそ心身を病むと思うので、良かった〜と安堵。

 

 

私は子どもに全く期待をかけていないのでもなくて
私が期待するのは
子ども自身が生きたいように生きること。
伸びたいように伸びること。

 

できるだけ健やかにあってほしい思いもあるので
不健康だなと思うと色々口出したくなるし出してる^^;


でもそれは子どもに強制する姿勢になると
子どもが生きたいように生きることを邪魔しているなと感じるので
強制ではなく提案になる。

 

 

子ども自身の望まないことを期待するのは
子どもにとっても負担で
親子の信頼関係が難しくなり
実現してもしなくても親の側も苦しいのではないかと思う。

 

かといって関心を寄せないで放任なのも
子どもにとって育つのに良い環境ではないかもしれないと思う。

 

植物が育つのを見守るような関心がちょうどいいなと思っている。

 

日光や水や養分が適している環境に身を置けるようにすることは親の役割かもしれない。

 

自然と育っていくのを見るのは喜びだ。

 

子ども自身が生きたいように生きることを支援する姿勢でいると
子どもと本心からつながりを持て
子どもが生き生きとしていて
親の私がそこから大いなる喜びを得ている。

 

 

そしてまた

子どもに対しての眼差しは
自分自身に対しての眼差しと同じでもある。

 

社会や周囲の期待に応えて生きることから
自分自身の生きたいように生きることを
私自身がシフトしてきたなと思う。

 

それは子どもに対してそのように接することで後押しもされたような気がしている。